漢字検定にチャレンジ??
海外旅行の楽しみのひとつが食事だと思う。
が、一方で不安が付きまとうのも食事である。
せっかくの楽しみが、口に合わなかったとか、不味かったとか、食中毒になってしまったってなことになってしまっては、わざわざ海外に行ってまでと誰しもが後悔するであろう。
と言うことで、ガイドブック等に掲載されているお店を探して行くということになる。限られた情報の中で、満足度や安全性を求めるなら当然のことだろう。
私もほぼそうである。
が、多少違うのは、探すのは探すのだが、大概の場合はその目的のお店に到達することなく、途中で気になったお店の方にに飛び込んでしまうところ。
そうなてしまった理由はこうである。
以前、初めてタイに行った時に、迂闊に路上の屋台で飯を喰ってしまい、旅行初日にして酷い下痢になってしまったことがあった。さもあらんと持参していた常用の日本の薬は全く歯が立たず、ホテルのフロントマンに教えてもらった現地の方が飲んでる薬を購入し服用してみると、あれだけ苦しんでいた症状がピタリと止んだ。
以来、このことに懲りて、安易な行いを慎むようになった・・・のではなく、この薬さえあればと、さらに屋台俳諧を繰り返した私。
幸いにも、その後は全くその薬に頼るシチュエーションになったことがなく、そういう前向き!?な性格及び油断もあってか、知らないお店でも平気で気軽に入ってしまうようになったのだ。
この行為が旅先での楽しみに幅を広げた。
特に、台湾や香港、マカオなどの中華系のお店は食事をしに行っているのかクイズを楽しんでるのかわからないくらいに面白い。
だから、あえて、地元の方が普段使いするようなお店に入る。
もちろん、ガイドブックに載っているお店は抜群に旨いし行く価値はある。だが、このようなお店はとても印象的で美味しいのだが、味の輪郭がはっきりしているが故にややもすると飽きる。つまり、日本でもそうだが、何かの記念日とかにたまに利用するような晴れの日使いの高めのお店なのである。
一方、地元の方が普段使いするようなお店は、毎日喰ってもどれだけ喰っても飽きないようなあっさり味のお店が多い。そして、これが、最大の楽しみなのだが、メニューに写真や英語や日本語等の表記が無く、一切が漢字で記されているのだ。
この漢字表記の料理が何かと推察するのが実に楽しいのだ。
中華料理自体がスタンダードで、ある程度の種類の料理ならイメージも湧くし、何より漢字なら大体のニュアンスは解るのではと思う方もいるだろう。
だが、実際に試してみるとそう簡単ではない。
もちろん、『餃子』など直ぐにイメージ出来るものはある。『蝦』という文字が付いていれば、アチラの国では水餃子がスタンダードだということを知ってさえいれば、「エビの水餃子」だろうということはわかるし簡単に注文することが出来る。
しかし、簡単そうに見える『炒飯』とか『雲呑』ですら、微妙に想像と違うものが出てくることがあるのだ。
例えば、『東北炒飯』という文字から貴方はどんな「チャーハン」を想像するだろう。てっきりスタンダードなものかと思っていたら、出てきたのは、肉系無しでキュウリとニンジンが入っていたあっさり塩味の素朴な「チャーハン」が出てきた時には苦笑するしかなかったし、
『雲呑』に関しても、「エビ入りのワンタンメン」を注文したつもりが、「エビ入りワンタンの焼きそば」が出てきたこともあった。
他にも、想定していたものと微妙に違うオーダーは数知れず。
「普通の叉焼入りのチャーハン」かと思いきや、「あんかけのデラックスなチャーハン」が出てきたり・・・、
「白菜のスープ」を頼んだつもりが、汁の無い「白菜の煮物」的なものが出てきたり・・・、
「エビのタマゴがすり込まれた麺の焼きそば」を頼んだつもりが、いわゆる普通の「エビ焼きそば」が出てきたり・・・、
「パパイヤジュース」を飲もうと思ったのに「パパイヤのシロップ漬け」が出てきたり・・・、
小さめの「ローストチキン」を食べようとしてたのに、ハーフサイズでもボリュームたっぷりのものが出てきたりと・・・、
とにかく、注文するたびに微妙に違うものが出てくるので、己の漢字認識能力とイマジネーションの無さに、思わず失笑するしかなく・・・。
しかも、想像と違う料理と言えども、どれもこれもいちいち旨いんだから文句も言えない。
店員のオバチャン達も注文した瞬間にニヤっと薄笑いするくらいだから、おそらくは彼女達も「あのバカ日本人め、自分が欲しいものとは違うのを選びやがって!」ってな風に小馬鹿にしているんだろうけれども、まあ、それも良し。
コチラとしては、己の価値観や知識や経験値を超えたところでひょっとしたら体感できるかもしれない何かを求めているんだから、失敗や過ちもこれまた楽し。
むしろ、己の保有する価値観や知識や経験値で判断できるものがすべて正しいとは思えない。そんなものを妄信しても世界を狭めるだけのこと。
そんな狭き枠なんて取っ払っちまえ~
その先に広がる世界の方が遥かに大きいですぞよ。
まあ、自分が必ず満足できるように、あえて狭き世界に固執するのもそれはそれでアリかもしれませけど、本当にそれでいいのでしょうか?
ってことで、中華系の異国の地での漢字検定!?はお勧めですよ。
が、一方で不安が付きまとうのも食事である。
せっかくの楽しみが、口に合わなかったとか、不味かったとか、食中毒になってしまったってなことになってしまっては、わざわざ海外に行ってまでと誰しもが後悔するであろう。
と言うことで、ガイドブック等に掲載されているお店を探して行くということになる。限られた情報の中で、満足度や安全性を求めるなら当然のことだろう。
私もほぼそうである。
が、多少違うのは、探すのは探すのだが、大概の場合はその目的のお店に到達することなく、途中で気になったお店の方にに飛び込んでしまうところ。
そうなてしまった理由はこうである。
以前、初めてタイに行った時に、迂闊に路上の屋台で飯を喰ってしまい、旅行初日にして酷い下痢になってしまったことがあった。さもあらんと持参していた常用の日本の薬は全く歯が立たず、ホテルのフロントマンに教えてもらった現地の方が飲んでる薬を購入し服用してみると、あれだけ苦しんでいた症状がピタリと止んだ。
以来、このことに懲りて、安易な行いを慎むようになった・・・のではなく、この薬さえあればと、さらに屋台俳諧を繰り返した私。
幸いにも、その後は全くその薬に頼るシチュエーションになったことがなく、そういう前向き!?な性格及び油断もあってか、知らないお店でも平気で気軽に入ってしまうようになったのだ。
この行為が旅先での楽しみに幅を広げた。
特に、台湾や香港、マカオなどの中華系のお店は食事をしに行っているのかクイズを楽しんでるのかわからないくらいに面白い。
だから、あえて、地元の方が普段使いするようなお店に入る。
もちろん、ガイドブックに載っているお店は抜群に旨いし行く価値はある。だが、このようなお店はとても印象的で美味しいのだが、味の輪郭がはっきりしているが故にややもすると飽きる。つまり、日本でもそうだが、何かの記念日とかにたまに利用するような晴れの日使いの高めのお店なのである。
一方、地元の方が普段使いするようなお店は、毎日喰ってもどれだけ喰っても飽きないようなあっさり味のお店が多い。そして、これが、最大の楽しみなのだが、メニューに写真や英語や日本語等の表記が無く、一切が漢字で記されているのだ。
この漢字表記の料理が何かと推察するのが実に楽しいのだ。
中華料理自体がスタンダードで、ある程度の種類の料理ならイメージも湧くし、何より漢字なら大体のニュアンスは解るのではと思う方もいるだろう。
だが、実際に試してみるとそう簡単ではない。
もちろん、『餃子』など直ぐにイメージ出来るものはある。『蝦』という文字が付いていれば、アチラの国では水餃子がスタンダードだということを知ってさえいれば、「エビの水餃子」だろうということはわかるし簡単に注文することが出来る。
しかし、簡単そうに見える『炒飯』とか『雲呑』ですら、微妙に想像と違うものが出てくることがあるのだ。
例えば、『東北炒飯』という文字から貴方はどんな「チャーハン」を想像するだろう。てっきりスタンダードなものかと思っていたら、出てきたのは、肉系無しでキュウリとニンジンが入っていたあっさり塩味の素朴な「チャーハン」が出てきた時には苦笑するしかなかったし、
『雲呑』に関しても、「エビ入りのワンタンメン」を注文したつもりが、「エビ入りワンタンの焼きそば」が出てきたこともあった。
他にも、想定していたものと微妙に違うオーダーは数知れず。
「普通の叉焼入りのチャーハン」かと思いきや、「あんかけのデラックスなチャーハン」が出てきたり・・・、
「白菜のスープ」を頼んだつもりが、汁の無い「白菜の煮物」的なものが出てきたり・・・、
「エビのタマゴがすり込まれた麺の焼きそば」を頼んだつもりが、いわゆる普通の「エビ焼きそば」が出てきたり・・・、
「パパイヤジュース」を飲もうと思ったのに「パパイヤのシロップ漬け」が出てきたり・・・、
小さめの「ローストチキン」を食べようとしてたのに、ハーフサイズでもボリュームたっぷりのものが出てきたりと・・・、
とにかく、注文するたびに微妙に違うものが出てくるので、己の漢字認識能力とイマジネーションの無さに、思わず失笑するしかなく・・・。
しかも、想像と違う料理と言えども、どれもこれもいちいち旨いんだから文句も言えない。
店員のオバチャン達も注文した瞬間にニヤっと薄笑いするくらいだから、おそらくは彼女達も「あのバカ日本人め、自分が欲しいものとは違うのを選びやがって!」ってな風に小馬鹿にしているんだろうけれども、まあ、それも良し。
コチラとしては、己の価値観や知識や経験値を超えたところでひょっとしたら体感できるかもしれない何かを求めているんだから、失敗や過ちもこれまた楽し。
むしろ、己の保有する価値観や知識や経験値で判断できるものがすべて正しいとは思えない。そんなものを妄信しても世界を狭めるだけのこと。
そんな狭き枠なんて取っ払っちまえ~
その先に広がる世界の方が遥かに大きいですぞよ。
まあ、自分が必ず満足できるように、あえて狭き世界に固執するのもそれはそれでアリかもしれませけど、本当にそれでいいのでしょうか?
ってことで、中華系の異国の地での漢字検定!?はお勧めですよ。
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