今だ混乱している頭で思うこと。
数十年前、基幹幹線道路で頻発する渋滞を避けるため、海岸沿いの防風林を横目に見ながら、真っ直ぐな道を会社と営業担当地域への往復に頻繁に利用していたことがある。
数十年前、幾重にも折り重なった岬の根元にひっそりと張りついていた町々へ、やはり仕事で何度か訪問をしたことがあった。
数十年前、出張にて何度か泊まった街にて、その名物の新鮮な魚やフカヒレを堪能すべく幾度も港を訪れたことがあった。
数十年前、風光明媚な名所の奥の奥にある綺麗な砂浜に、先輩親子と一緒に海水浴に行ったことがあった。
十数年前、会社の慰安旅行にて奇岩が並ぶ皇室にも所縁のある名所にて、びっくりするくらいに大きなマグロのカブト焼に皆で悪戦苦闘しながらも舌鼓をうったことがあった。
十数年前、請け負った仕事の関係で、その港に繋留する漁船をチャーターし、その関係で懇意になった船主から鮭トバやカンカイ等を御馳走になったことがあった。
東北地方太平洋沖地震とそれが引き起こした大津波によって甚大な被害を被った地域うちの、仙台市荒浜、名取市閖上、仙台空港周辺、亘理、石巻、牡鹿、雄勝、志津川、気仙沼、奥松嶋の野蒜、三陸の宮古、青森の八戸などのことである。
想い出深き場所や記憶に残っている光景が一瞬にしてズタズタにされた。
絶句・・・。
よく利用していた道路が、馴染みのある風景並びに街並みが、何度も行ったことのある港が大津波に飲み込まれる様が何度も何度も繰り返しテレビに映っている。
当時の上司や先輩に同僚諸氏、それに懇意にしてくださったお客様等関係深き方々が今もいるであろう場所がである。
時系列こそ違えど、私も確かにそこに居た。
時系列こそ違えど、此度のこの激甚なる災害に私も巻き込まれていた可能性もあったのである。
阪神・淡路大震災の時も同様だった。社会人となるまで過ごしていた街を離れて10年程経った時に、あの想い出深き街は凶暴な地球のパワーに破壊された。
無力感が漂う・・・。
自分の住んでいた、あるいは訪れていた街々のこの変わり果てた姿をどう直視したらいいのだろう。
今は遠くに居て直接的被害を全く受けていない私ですらこうなのだから、実際に現地で被災した方々の気持ちはいったいどれほどであろうか。
今は、亡くなった方々へのご冥福をお祈りするとともに、要救助者の早急なる救助活動の円滑化と、罹災者が取りあえずでも通常の生活を早めにおくれるようにと思うばかりです。
私自身もなかなかに気持ちの整理がつかないでいますが、落ち着き次第、今そしてこれから私にいったい何が出来るのかを考えてみます。
当ブログをご覧の変態者の皆様、皆様もどうか今回のことを人事だと思わずに真剣に考えてみてください。安直な行為や慰めの言葉など要りません。
マスコミやメディアの皆様も是非ともそろそろ今の報道の仕方を考えていただきたい。マスコミ各社がチャーターしているヘリコプターの数機でもいいから陸からは支援できない場所の救助あるいは救援に回せないだろうか。燃料だって優先すべきは救助救援に使っているものにすべきだと思うのだが。今だ東北のほとんどのエリアが停電で暖房もない寒い夜をすごしている方々がいるのだから、例えば中継に必要な電源などをそちらに活用することは出来ないのだろうか。テレビだって、今実際に観てるのは非被災地にいる我々であり、もう、我々向けのワイドショー的なニュースやスクープ合戦まがいの映像はさほどにいらないと思うのだが。そろそろ被災者が本当に必要なニュースを報道しては如何だろう。
ここ数日の間、テレビの前に釘付けになって、「わーすごい」とか「こわい」とか言っている我々にしたってそうである。マスコミ各社が垂れ流しているワイドショー的ニュースに一喜一憂している場合ではないと思うのだがどうだろう。
今回も首都圏では交通網麻痺によって帰宅難民がかなり出たくらいであるから、おそらくは、今後確実に来るであろう、首都圏、東海、中部、関西等の大都市エリアを襲うであろう東海・東南海・南海地震の時のためにも報道のあり方、情報の入手の仕方を考える必要があるのではないでしょうか。
真なる変態者ならその真なる心にて今回のことを真摯に受け取っていただけるはずだと思います。
まずは些細なことからでも。
私も、まずは、節電も兼ねて、状況が落ち着くまでは当ブログの更新を一時休止しようかなと思っております。
被災者の方々を含め、我々真なる変態者も、この未曾有の災害に立ち向かって参りましょう。
絶対に乗り越えられるはずです。
+A
数十年前、幾重にも折り重なった岬の根元にひっそりと張りついていた町々へ、やはり仕事で何度か訪問をしたことがあった。
数十年前、出張にて何度か泊まった街にて、その名物の新鮮な魚やフカヒレを堪能すべく幾度も港を訪れたことがあった。
数十年前、風光明媚な名所の奥の奥にある綺麗な砂浜に、先輩親子と一緒に海水浴に行ったことがあった。
十数年前、会社の慰安旅行にて奇岩が並ぶ皇室にも所縁のある名所にて、びっくりするくらいに大きなマグロのカブト焼に皆で悪戦苦闘しながらも舌鼓をうったことがあった。
十数年前、請け負った仕事の関係で、その港に繋留する漁船をチャーターし、その関係で懇意になった船主から鮭トバやカンカイ等を御馳走になったことがあった。
東北地方太平洋沖地震とそれが引き起こした大津波によって甚大な被害を被った地域うちの、仙台市荒浜、名取市閖上、仙台空港周辺、亘理、石巻、牡鹿、雄勝、志津川、気仙沼、奥松嶋の野蒜、三陸の宮古、青森の八戸などのことである。
想い出深き場所や記憶に残っている光景が一瞬にしてズタズタにされた。
絶句・・・。
よく利用していた道路が、馴染みのある風景並びに街並みが、何度も行ったことのある港が大津波に飲み込まれる様が何度も何度も繰り返しテレビに映っている。
当時の上司や先輩に同僚諸氏、それに懇意にしてくださったお客様等関係深き方々が今もいるであろう場所がである。
時系列こそ違えど、私も確かにそこに居た。
時系列こそ違えど、此度のこの激甚なる災害に私も巻き込まれていた可能性もあったのである。
阪神・淡路大震災の時も同様だった。社会人となるまで過ごしていた街を離れて10年程経った時に、あの想い出深き街は凶暴な地球のパワーに破壊された。
無力感が漂う・・・。
自分の住んでいた、あるいは訪れていた街々のこの変わり果てた姿をどう直視したらいいのだろう。
今は遠くに居て直接的被害を全く受けていない私ですらこうなのだから、実際に現地で被災した方々の気持ちはいったいどれほどであろうか。
今は、亡くなった方々へのご冥福をお祈りするとともに、要救助者の早急なる救助活動の円滑化と、罹災者が取りあえずでも通常の生活を早めにおくれるようにと思うばかりです。
私自身もなかなかに気持ちの整理がつかないでいますが、落ち着き次第、今そしてこれから私にいったい何が出来るのかを考えてみます。
当ブログをご覧の変態者の皆様、皆様もどうか今回のことを人事だと思わずに真剣に考えてみてください。安直な行為や慰めの言葉など要りません。
マスコミやメディアの皆様も是非ともそろそろ今の報道の仕方を考えていただきたい。マスコミ各社がチャーターしているヘリコプターの数機でもいいから陸からは支援できない場所の救助あるいは救援に回せないだろうか。燃料だって優先すべきは救助救援に使っているものにすべきだと思うのだが。今だ東北のほとんどのエリアが停電で暖房もない寒い夜をすごしている方々がいるのだから、例えば中継に必要な電源などをそちらに活用することは出来ないのだろうか。テレビだって、今実際に観てるのは非被災地にいる我々であり、もう、我々向けのワイドショー的なニュースやスクープ合戦まがいの映像はさほどにいらないと思うのだが。そろそろ被災者が本当に必要なニュースを報道しては如何だろう。
ここ数日の間、テレビの前に釘付けになって、「わーすごい」とか「こわい」とか言っている我々にしたってそうである。マスコミ各社が垂れ流しているワイドショー的ニュースに一喜一憂している場合ではないと思うのだがどうだろう。
今回も首都圏では交通網麻痺によって帰宅難民がかなり出たくらいであるから、おそらくは、今後確実に来るであろう、首都圏、東海、中部、関西等の大都市エリアを襲うであろう東海・東南海・南海地震の時のためにも報道のあり方、情報の入手の仕方を考える必要があるのではないでしょうか。
真なる変態者ならその真なる心にて今回のことを真摯に受け取っていただけるはずだと思います。
まずは些細なことからでも。
私も、まずは、節電も兼ねて、状況が落ち着くまでは当ブログの更新を一時休止しようかなと思っております。
被災者の方々を含め、我々真なる変態者も、この未曾有の災害に立ち向かって参りましょう。
絶対に乗り越えられるはずです。
+A
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袋の中身は何じゃらほい。
子供時分に男なら一度は誰しも疑問に思ったことがあるかもしれない。
己の股間にプランとぶら下がっている玉袋のことである。
「何の為にコレがあるのか?」
冷却保温装置として機能したり、あるいはネバネバのものがココで製造され排出されると知るまでは、コレは男たちにとっては厄介な存在でしかなかったハズである。
そう。
ココを痛打した時の痛みといったら、思い出しただけでゾッとするハズである。
立っていられない、思わず蹲ってしまうしかないくらいの痛み。
吐き気をもよおすくらいの痛み。
冷や汗、あぶら汗の本当の意味を理解できるくらいにむやみやたらと掻く汗。
トントンと腰を叩くか、ジャンプするか、最悪は掻き出して玉を定位置に戻すしかない処置方法。
痛みに呻く様は同情はされるものの必ずと言っていいほど周囲のヤツには笑われ、衆目にさらされた時の恥ずかさといったらもう・・・。
そんな時に、きっと思ったハズである。
「いっそ女子みたいに無くなればスッキリするのに」
と・・・。
「タマが入ってるっていうけど本当にタマなのだろうか?」
と・・・。
「いったい、ココには何が入ってるのか?」
と・・・。
今でこそそれなりの知識を持っているつもりではあるが、性教育をまともに受けてない幼少期には必ず思ったことがあるハズだ。
ともあれ、あの痛みは二度とゴメンである。
絶対に。
かの日の悶絶を思い出してか、テレビを観ながらにそっと袋を握り、手のひらで優しく包むオトコであった。
妄想ぶつその1:海千山千の納豆信田焼
妄想ぶつその2:中身は納豆とトロトロのチーズ
妄想場所:季節のおそうざい 海千山千
広島市中区薬研堀3-10カトレア館1F
082-246-9668
当ブログはあくまで妄想噺(フィクション)であり、実在の具象に似通った表現がなされることがあるやもしれませんが、それは、全くもって偶然に過ぎませんので本文内容と無関係であります。
また、妄想場所や妄想ぶつとして、本文に実在の店名や団体及びお料理やお酒等を記載することもありますが、それらは本文の内容とは一切関係がございません。
己の股間にプランとぶら下がっている玉袋のことである。
「何の為にコレがあるのか?」
冷却保温装置として機能したり、あるいはネバネバのものがココで製造され排出されると知るまでは、コレは男たちにとっては厄介な存在でしかなかったハズである。
そう。
ココを痛打した時の痛みといったら、思い出しただけでゾッとするハズである。
立っていられない、思わず蹲ってしまうしかないくらいの痛み。
吐き気をもよおすくらいの痛み。
冷や汗、あぶら汗の本当の意味を理解できるくらいにむやみやたらと掻く汗。
トントンと腰を叩くか、ジャンプするか、最悪は掻き出して玉を定位置に戻すしかない処置方法。
痛みに呻く様は同情はされるものの必ずと言っていいほど周囲のヤツには笑われ、衆目にさらされた時の恥ずかさといったらもう・・・。
そんな時に、きっと思ったハズである。
「いっそ女子みたいに無くなればスッキリするのに」
と・・・。
「タマが入ってるっていうけど本当にタマなのだろうか?」
と・・・。
「いったい、ココには何が入ってるのか?」
と・・・。
今でこそそれなりの知識を持っているつもりではあるが、性教育をまともに受けてない幼少期には必ず思ったことがあるハズだ。
ともあれ、あの痛みは二度とゴメンである。
絶対に。
かの日の悶絶を思い出してか、テレビを観ながらにそっと袋を握り、手のひらで優しく包むオトコであった。
妄想ぶつその1:海千山千の納豆信田焼
妄想ぶつその2:中身は納豆とトロトロのチーズ
妄想場所:季節のおそうざい 海千山千
広島市中区薬研堀3-10カトレア館1F
082-246-9668
当ブログはあくまで妄想噺(フィクション)であり、実在の具象に似通った表現がなされることがあるやもしれませんが、それは、全くもって偶然に過ぎませんので本文内容と無関係であります。
また、妄想場所や妄想ぶつとして、本文に実在の店名や団体及びお料理やお酒等を記載することもありますが、それらは本文の内容とは一切関係がございません。
複数プレイでの歓喜。
温かな刺激にて熱った身体を持て余すかのように恥ずかしげも無くパカッと秘部を開くオンナども。
ここまで挑発的に見せ付けられたならば、待ち受けていた側からすれば衝動的にむしゃぶりつかざるを得ないではないか。
アチコチで一斉に淫汁溢れるビラビラを愛でるオトコども。
アチラでは艶やかな歓声が響き、ソチラでは艶かしき嬌声があがり、コチラでは桃色の吐息が聞こえてくる。
そう。
数多の悦楽が連鎖的に増幅していき、アチラの喜びやソチラの歓びがコチラに幾重もの悦びを与えてくれるのだ。
複数プレイでの連環の歓喜に、思いっきり酔いしれるオトコであった。
妄想ぶつその1:網上でまったりと焼かれる殻付き牡蠣たち
妄想ぶつその2:鮮度がいいのかキモチいいくらいにパカっと開く牡蠣
妄想ぶつその3:こういうのは大人数でやるのが愉しいよね
妄想場所:かき小屋えびす丸
広島市南区宇品海岸3丁目12番地宇品波止場公園内
082-2552-2775
当ブログはあくまで妄想噺(フィクション)であり、実在の具象に似通った表現がなされることがあるやもしれませんが、それは、全くもって偶然に過ぎませんので本文内容と無関係であります。
また、妄想場所や妄想ぶつとして、本文に実在の店名や団体及びお料理やお酒等を記載することもありますが、それらは本文の内容とは一切関係がございません。
ここまで挑発的に見せ付けられたならば、待ち受けていた側からすれば衝動的にむしゃぶりつかざるを得ないではないか。
アチコチで一斉に淫汁溢れるビラビラを愛でるオトコども。
アチラでは艶やかな歓声が響き、ソチラでは艶かしき嬌声があがり、コチラでは桃色の吐息が聞こえてくる。
そう。
数多の悦楽が連鎖的に増幅していき、アチラの喜びやソチラの歓びがコチラに幾重もの悦びを与えてくれるのだ。
複数プレイでの連環の歓喜に、思いっきり酔いしれるオトコであった。
妄想ぶつその1:網上でまったりと焼かれる殻付き牡蠣たち
妄想ぶつその2:鮮度がいいのかキモチいいくらいにパカっと開く牡蠣
妄想ぶつその3:こういうのは大人数でやるのが愉しいよね
妄想場所:かき小屋えびす丸
広島市南区宇品海岸3丁目12番地宇品波止場公園内
082-2552-2775
当ブログはあくまで妄想噺(フィクション)であり、実在の具象に似通った表現がなされることがあるやもしれませんが、それは、全くもって偶然に過ぎませんので本文内容と無関係であります。
また、妄想場所や妄想ぶつとして、本文に実在の店名や団体及びお料理やお酒等を記載することもありますが、それらは本文の内容とは一切関係がございません。
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